北大輝「明日への戦い」

日本社会への提言

「革命」を叫んだ団塊の世代は最後に戦ってから死ね

 2015年の集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法や2017年の共謀罪法の成立前、国会前に大勢のデモ隊が出現した。あれから、もう数年が経つ。あれだけのデモ隊が国会前を埋め尽くしたのは、1970年安保以来かもしれない。

 中には高齢者もいた。しかし、あらかた定年退職して、暇を持て余していたはずの団塊の世代やその前後の世代で、学生運動をしていた連中は何をやっていたのだろうか? 小金を持っている連中は、ゴルフや銀座のクラブにでも行っていただろう。大多数の老人は家でゴロゴロして、テレビでも見ていたのではないか。なぜなら、70年安保でお茶の水や新宿などでデモをしていた連中が参加すれば、国会前はもっと大騒ぎになっていたはずなのだから。

 テレビの前で「自公維新は許せない」と怒る老人はまだマシだ。ノスタルジアに浸って、「ワシも若い頃は」などと自慢話して、家族から嫌な顔をされている年寄りは何の役にも立たない。大多数の元学生運動の闘士の皆さんは何をやっていたのか? だって、安保法案ですよ。あなた方があれだけ反対していた70年安保より、さらに戦争に近付く法案ですよ。

 

 バブル期、30歳代後半から40歳代前半で中間管理職だった団塊の世代について、下の世代からの評判は極めて悪かったと聞く。曰く「上にはゴマスリ、下には高圧的」、曰く「口先だけで能力なし、でも威張る」。特に「学生運動をやっていた」という連中ほど、部下に嫌われていたという。

 上司というものは嫌われるものだ。そこで、学生運動経験者の上司を持っていた人たちに、「彼らは社会変革を唱えていたのだから、社会人になった今でも、それなりの志や革新性を持っているのではないか」と素朴な質問をしたことがあるが、「あの人たちはそんなものは就職した時にすっぱり切り捨てているのだ」と言下に否定された。嫌われる理由を聞くと、「言葉にするのは難しい」と言っていたが、最大公約数的には「格好いいことを言うが、最後には逃げる」という話も聞いた。要するに、彼らは自分可愛さに「転向」しただけなのだ。

 「いちご白書をもう一度」ではないが、1970年以降、「社会を変える」と言っていた学生たちは、名門大学の学生ほど、昨日までの自分たちの活動を忘れたように、口を拭って、大企業に就職し、大学の研究室に戻っていった。真面目に学生運動を続けた者は貧乏くじを引いた。団塊世代のすぐ下の年代だという漫画家の弘兼憲史の作品には、「革命」とかカッコイイことを言って、女を口説き、最後には学生運動からも女からも逃げてしまう無責任な年上の学生が出てきた記憶がある。

 フェミニズムの立場からの「バリケードの中では、女子学生はおにぎりを作らされていた」という批判も目にした。女子学生は、性的対象として利用されていた面もあっただろう。

 そんな団塊の世代の「出世株」のエリートサラリーマンがバブル期にやっていたことといえば、「会社の経費で宴会やゴルフ」「経費で出張旅行」「経費で銀座や赤坂のクラブ遊び」「社内、社外を問わずに不倫三昧」という「課長 島耕作」がやっていたようなバブルっぽい遊びというのが象徴的だ。

 昭和やその雰囲気を引き継ぐ平成の時代だったから、出世した者は大体パワハラ上司だっただろう。絶好調だった証券、銀行、不動産業界などで、土曜、日曜も部下を営業に駆り出す上司の話は珍しくなかった。パワハラや長時間残業による自殺や心身症は多かったはずだが、「24時間働けますか」のモーレツ時代には、大きな社会問題にもなっていなかった。

 その後、バブルが弾けても、しわ寄せを受けたのは、就職氷河期の若者で、団塊の世代は終身雇用と年功序列賃金に守られ、既得権を享受し続けた。「バブル崩壊で、土地や株で大損した」と不平を言う者もいたが、損をしても別に殺されるわけではない。就職氷河期の若者が非正規雇用でその後、20年から30年以上も「生かさず殺さず」の将来無き生活を強いられるのに比べれば、マイホームも車も持てた世代は幸せというべきだろう。

 

 そう結局は、「革命」を唱え、「転向」した彼らの得たものは「小さな幸せ」だったのだ。

 

 でも、それでいいのか?

 

 孫の顔を見て、「じいじ、ばあば」と言われるのがそんなに楽しい豊かな生活なのだろうか?

 

 団塊の世代が大学に入学した1966年から69年までの大学進学率は12%から15%。大学に行きたくても、高卒や中卒で社会に出る若者が大多数だった時代。大学生は間違いなく社会のエリートだった。

 日々の労働に追われながら、学生運動にかまける同世代の若者に「気楽でいいよな」と思いながらも、大学生が唱える「革命」の言葉に、自分たちの生活を向上させてくれる期待を込めて見守ってくれていた中卒、高卒の会社員や労働者も多かったのではないか。

 そんな人々の期待を裏切り、次世代以降の学生運動の火まで消してしまった世代の責任は大きいのではないか。

 

  今の自民党は「地方に住む田舎者」だけが投票する政党ではなく、都会在住の保守層とぼんやりした風任せの無党派層が支える政党になりつつある。団塊の世代の元大学生たちが、昭和から平成の時代、社会の指導層や中堅層を形成してきたわけだが、その世代が大日本帝國の生き残りのような自民党政権の延命を支えてきたと言っても過言ではない。

 フランスで5月革命に携わった世代がミッテラン社会党政権誕生の原動力となったように、団塊の世代が志を持ち続けていれば、今の日本はもう少しまともな国だったはずなのだから。

 

 今、この「勝ち逃げ」とみられていた世代にツケが回ってきた。コロナが蔓延する中、高齢者がコロナに感染すれば、ひとたまりもない。「野党なんかだらしない。政権を担えるのは自民党だけだ」とわけ知り顔に語り、自民党に投票し続けてきた高齢者に優先して、政府はワクチン接種を実施しているが、日本全体の接種率は5月19日現在で発展途上国並みの約6%。コロナかどうかを確定する唯一の方法、PCR検査を受けるのは、相変わらず困難なままだ。日本は今、コロナに無防備と言っても過言ではない。

 

 それなのに、菅政権は意地でも東京五輪を強行しようとしている。大会には、選手、役員、IOC、広告スポンサーやスポーツ関係者、報道関係者を加えると、約10万人が来日する。彼らが世界中から持ち込むウイルスの相乗効果で、強力な「日本変異株」が発生しても、おかしくない状況だ。

 自民党公明党東京五輪さえ開催すれば、盛り上がって、総選挙に勝てるとそろばんを弾くが、五輪後、大量のコロナ患者が発生して、日本中の医療が壊滅して手が付けられなくなった上に、強烈な五輪後の不景気が来たら、どうするつもりなのか。

 

 高齢者のワクチン接種は秋までかかるだろう。それまでに大勢の高齢者が死ぬだろう。金持ちも貧乏人も関係ない。ワクチンを打っていても、感染する人はいるし、副作用で死ぬ人も出る。

 コロナと五輪不況で経済がダウンすれば、あなた方の年金も容赦なく削られていく。法律にはすでにそういう条項があるのだから。あなた方はもう「勝ち組」ではない。今の政府には、金食い虫の役立たずと思われている。

 

 家にこもっているつもりでも、コロナには感染する。そんなら、思い切って国会前に行って、デモをしろ。叫べ。

 コロナ対策の拡充を。東京五輪の中止を。今、叫ばなくて、いつ叫ぶのか?こんな嘘つき政府を許していいのか? 昔は敷石や火炎瓶まで投げていたあなた方ではないのか。

 今の現役世代は仕事に追われて忙しいんだ。非正規で生きるのさえ、やっとの人も多い。

 あなた方はどうせ、暇なんだ。体を張って、昔、敵だった権力や機動隊と戦え。警官だって、老人には無茶をしないだろう。運悪く死んでも、樺美智子以来の英雄になれる。家族も「おじいちゃん、よく頑張ったね。人生で一番いいことしたね」と褒めてくれるかもしれない。(2021年5月21日)無断使用、盗用、転載を禁じる。

 

 

東京五輪は本当に開催できるのか?

 4月の水泳日本選手権は池江璃花子選手が活躍し、スポーツ関係者が「東京五輪代表決定」と盛り上がった。これで東京五輪開催が決定したかのような大騒ぎだ。
 NHKは池江選手を生放送の1時間特番に出演させた。白血病の治療は大量の抗がん剤投与や強い放射線の照射など、患者の肉体に非常に大きな負担をかける。NHKは池江選手がアスリートとして復活するために、どれだけ血のにじむようなトレーニングを重ねてきたかを伝えていたが、「これからの人生は長いのに、そんなに無理させて
いいのか」とも考えさせられた。
 本人は東京五輪に出たいのだから、ハードなトレーニングを望むだろうが、周囲の医師、コーチやスポーツ関係者は将来の人生や体のことを考えて、押しとどめなかったのだろうか。「本人の意志だ」と彼らは言うだろう。しかし、他の思惑はなかったのか。池江選手の病気が再発したら、どうするつもりなのだろうか。

 

 日本政府や組織委員会、IOCは何がなんでも五輪を強行する構えだが、「開幕」まで3ヶ月を切った今なお、具体的にどのような形式で東京五輪を行うか、最終的な詳細プランが示されていないことは、日本市民にとって、とても不幸なことだ。
 世界中がコロナ禍で苦しみ、欧州
でロックダウンが繰り返され、感染力が強く重症化リスクが高い変異種が猛威を振るう中、どこの国で代表選手の選考会がまともにできるのだろうか? 5月5日現在で、ワクチン接種率が高いイスラエル(120%)、英国、米国(いずれも75%)なら、予選会ができるかもしれない。ドイツ(39%)や夜間外出禁止が続くフランス(34%)では厳しいのではないか。結局は感染者の少ない中国、台湾、ニュージーランド、オーストラリアなどが中心となる「アジア大会に毛の生えたような五輪」になるのではないか? 肝心の日本の接種率はわずか3%。ガーナ、ルワンダ(ともに2.7%)、ラオス(2.5%)に匹敵する低さだ。相部屋が基本の日本の選手村で、果たして選手間の感染防止ができるのか?

 

 3月、NHKの討論番組の中で、元五輪マラソン代表の増田明美氏や体操日本代表の内村航平選手が「何とかオリンピックを開催してほしい」「できないじゃなく、どうやったらできるかを考えてほしい」と訴える声を紹介していた。4年に1度のオリンピックを目標に肉体的、精神的にハードなトレーニングを課してきた選手たちにとって、五輪が中止になるのは耐え難いことなのだろう。

 けれど、このまま東京五輪が何らかの形で開催されれば、日本における五輪やスポーツの地位は決定的に低下するはずだ。普通の日本人があれほど崇めていた五輪やスポーツ選手に愛想を尽かすことになるだろう。
 その
最大の理由は、日本政府の無策下、コロナで死亡したり、満足に治療も受けられなかったり、日々の生活に困ったりした人たちへの共感がない「健康強者」の視点であることだ。

 日本の社会や教育において、「健康」であることや「運動能力が高い」ことはある意味、絶対的な地位を持っていると言っていい。昔は「健康優良児」の表彰まであったほどだ。学力の頂点である「東大合格」とスポーツの「全国大会優勝」では、同じくらいのステータスを持っていると言っても過言ではないだろう。「富国強兵」を掲げた戦前教育の残滓であって、時代遅れにもほどがある。進学校でもなぜか「文武両道」と勉強だけでなく、運動能力の高さがないと一人前ではないような目標を掲げる。運動音痴は肩身が狭い。障害を抱える学生なら、真っ先に振り落とされる目標だ。

 日本のトップクラスのスポーツ選手の多くは、自分や仲間がエンジョイするための「スポーツ」というよりも、勝利、鍛錬、我慢、自己犠牲など「教育的」観点を過度に重視する「体育」のエリートたちだ。

 日本の「体育」や「部活」では、監督やコーチ、部長、教師などの評価が最重視される。監督やコーチの指導に刃向かえば、試合にも出れないし、対外的な評価も受けられない。対外試合に出るためには、試合でのプレーの良し悪しより、練習にいかに真面目に出たかが重要な評価となる。そして、指導者の指示に逆らわない限り、優秀な選手は優遇され、褒めそやされる。というよりも、上の者に逆らわないことが、優秀な選手の前提になっている。先日、空手の女子日本代表選手が、竹刀を振り回して自分の目に当てて失明させかねなかった監督を訴え、監督が解任されたが、これが立派なニュースになるほどなのだから。

 

 政府内で、選手へのコロナワクチン優先接種案が浮かび、遅々として進まぬ高齢者への接種より優遇されることから批判が広がり、関係閣僚が否定する事態を引き起こしたことがあった。ところが、IOCは5月6日、五輪出場選手団にファイザー社製ワクチンを供給すると発表した。五輪開催の7月末までに、全選手、役員がワクチン接種を受けられることになる。
 「五輪に出たい」と幼稚園児のように叫ぶ選手たちにあえて問いたい。日本市民に対するワクチン接種が進まず、大阪では入院希望者の10%しか入院できない医療崩壊が起き、自宅やホテルに放置されて亡くなるコロナ患者が続出しているのに、若くて健康な自分たちには万全のワクチン接種やPCR検査、治療体制が整備されることを、疑問に思わないのだろうか。

 また、筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症など呼吸器系に疾患を抱えるパラリンピックの選手たちは、コロナ対策が不完全な大会には出場したくてもできないのだが、同じアスリートとして、共感はないのだろうか。

 

 同じNHKの番組で、バルセロナ五輪女子マラソン銀メダルの有森裕子氏が「アスリートファーストじゃない。社会ファーストであるべきだ」と言っていたが全く同感だ。池江選手や多くの有名スポーツ選手の存在が、国民無視の「利権五輪」開催強行のよい口実になっている。

 安倍、菅政権が五輪開催に固執してきた理由が、電通に代表される広告業界、建設業界、旅行業界、運輸業界などの利権要求に応えるためであることは、普通の市民なら当然分かっていることで、各種世論調査で五輪中止と延期を求める意見を合わせれば、多数を占めることからも明らかだろう。(NHKは世論調査の質問形式を変えてしまったが)
 

 また、五輪が、上辺だけカッコイイことを言う選手たちの経済的利益や個人的名声に直結していることもお見通しだ。
 
五輪招致によって、スポーツエリート選手たちの競技環境は確かに整ったが、私たちが気軽に野球やテニスなどを楽しめる市民スポーツの施設は欧米に比べ、非常に貧弱なままだ。
 ヨーロッパの映画を見ていると、普通の労働者が休日や仕事の後に、地元のクラブチームでサッカーやラグビーを楽しんでいるシーンが何気なく出てくる。一般人でも気楽にスポーツを楽しめる環境が整っているからだろう。日本には、そんなスポーツ施設はあまりない。日本に必要なのは、五輪よりコロナ対策。豪華な競技場より一般市民が気軽に使えるグラウンドや体育館だ。

 

 日本の政治の悲劇は、やるべきだと分かっていることができないことだ。日本が空襲で焼け野原になり、原爆を落とされ、ソ連が参戦するまで戦争をやめられなかったこととよく似ている。
 多分、コロナが今以上にさらに悪化した上で、五輪直前に「何か」重大なトラブルか悲劇が起きる。日本敗戦と同様に、政府や組織委員会が国民にぶざまな醜態を見せつけながら、どうしようもない形で五輪中止が決まるだろう。(2021年5月7日)無断使用、盗用、無断転載を禁じる。